カーリング女子日本代表「フォルティウス」のスキップとして活躍する吉村紗也香(よしむらさやか)選手。
2026年ミラノ・コルティナ五輪出場を決め、5度目の挑戦で悲願の夢舞台へと駒を進めました。
本記事では、吉村紗也香選手の学歴にフォーカスし、出身小学校・中学校・高校・大学を紹介。
さらに、それぞれの時期におけるカーリングとの関わり、学生時代のエピソードも詳しく解説します。
吉村紗也香選手の基本プロフィール
学歴と出身校の前に、吉村紗也香選手の基本プロフィールをご紹介しておきますね。
■基本情報
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 氏名 | 吉村 紗也香(よしむら さやか) |
| 生年月日 | 1992年1月30日 |
| 出身地 | 北海道北見市常呂町 |
| 身長 | 162cm |
| 血液型 | O型 |
| ポジション | スキップ(フォース) |
| 所属 | フォルティウス |
吉村紗也香選手がどんな人物なのか、プロフィール・経歴などについて総合的にまとめた記事もあります。よろしければあわせてお読みください↓↓↓

吉村紗也香の出身小学校:北見市立常呂小学校(旧・常呂町立常呂小学校)
カーリングとの出会い
吉村紗也香選手がカーリングを始めたのは、小学4年生の時(9歳)。体育の授業でカーリングを体験したことがきっかけです。
常呂町では体育の授業にカーリングが組み込まれており、自然に競技に触れる環境があったといいます。
「最初はルールもわからなかったけれど、ストーンを投げるのが難しくて、それが単純に楽しかった」と吉村選手は振り返っています。
ハウスの中に石を入れること、相手の石を出すことといった「ちっちゃい喜びを重ねて」カーリングを続けてきました。
チーム「WINS」の結成
小学4年生の時、吉村選手は同級生の井田莉奈、氏原梨沙、石垣真央らと一緒に、カーリングチーム「WINS(ウィンズ)」を結成しました。
このチームは中学・高校・大学と進学先が変わっても、メンバーを維持し続け、吉村選手のカーリング人生の基盤となります。
小学生時代にはバスケットボール部にも所属しており、スポーツ万能な一面を見せていました。
吉村紗也香の出身中学校:北見市立常呂中学校
中学時代のカーリング活動
中学校に進学後も、吉村選手は同じメンバーで「WINS」として活動を続けました。
常呂町カーリングホールで協会リーグ戦などに参加し、着実に力をつけていったといいます。
当時、町内の先輩カーラーからは「彼女達は将来強くなる」とささやかれるほど、将来を期待される存在でした。
部活動との両立
中学時代の吉村選手は、カーリングと並行してバスケットボール部にも所属していました。
ポジションはフォワードで、スコアラー(得点係)も務めていたといいます。
「体を動かすのは得意で、今でも球技は好きです」と語っており、中学時代からさまざまなスポーツに取り組む活発な学生生活を送っていました。
夜間のリーグ戦に参加
中学生の頃から、吉村選手の生活はカーリング中心でした。
「学校の授業が終わって、部活に参加して、18時くらいに一旦帰宅。母が用意してくれていた食事を急いで食べて、カーリング場に行って、19時からのリーグ戦に出る――そんな毎日でした」
「ほぼ毎日カーリング場に行っていました」という言葉からは、競技にかける強い情熱が伝わってきますね。
吉村紗也香の出身高校:北海道常呂高等学校
全国高校選手権優勝
吉村選手は地元の北海道常呂高等学校に進学し、ここでも「常呂高等学校WINS」として活動を継続しました。
常呂高校はカーリングの名門校として知られ、多くのトップ選手を輩出しています。
2009年(高校2年生)、吉村選手率いる常呂高等学校WINSは、第4回全国高等学校カーリング選手権大会で優勝。
全国高校日本一の栄冠を手にしたこの経験は、吉村選手にとって大きな自信となりました。
日本選手権で2年連続準優勝
高校時代の吉村選手は、すでに一般(社会人・実業団も含む)カテゴリーの日本カーリング選手権でも活躍していました。
高校生チームが日本選手権の決勝まで進むのは極めて異例で、2年連続で準優勝という快挙を成し遂げました。
この実績により、吉村選手は全国に名を知られる存在となりました。
初のオリンピック挑戦
高校時代に吉村選手が意識し始めたのが、オリンピック出場でした。
「高校2年生のときの日本選手権(2009年大会)で2位になって、2010年バンクーバー五輪の(出場権をかけた)トライアルに出場したシーズンです。格上の相手にも互角のゲームができた記憶があって、オリンピックを意識し始めたのもその頃です」
2009年11月に行われたバンクーバー五輪代表決定戦では、延長戦まで持ち込む接戦を展開しましたが、チーム長野に惜敗しました。
試合後、吉村選手は
「やり切ったので、悔いはありません。勉強になりました。また同じチームで、4年後のオリンピックを目指して頑張りたい」
バレーボール部との二足のわらじ
高校では、吉村選手はカーリングだけでなくバレーボール部にも所属していました。
ポジションはレフトで、部活動とカーリングの両立という多忙な生活を送っていました。
また、高校時代には地元常呂でコンビニのアルバイトもしていたといいます。バイト先でチームメイトと「カーリング談義」をする日常だったそうです。
授業・部活(バレー)・カーリングの練習と試合、そしてアルバイトという、驚異的なスケジュールをこなしていた高校時代の吉村選手。
この時期の経験が、精神力と体力の基礎を築いたと考えられます。
吉村紗也香の出身大学:札幌国際大学
大学進学とカーリング部創設
高校卒業後、吉村選手は札幌国際大学に進学しました。この進学には、カーリングを続けたいという強い思いがありました。
「ちょうど大学受験のタイミングで、大学でもカーリングを続けたいなと思っていたんです。そうしたら常呂高校時代のメンバーの何人かが興味のある学科があるということで、すでに札幌国際大学への進学を決めていて、同時に大学からも『カーリング部を創設します』というお話をいただいて、私も札幌行きを決めました」
と語っています。
札幌国際大学では、元々フィギュアスケートやアイスホッケー部がありましたが、吉村選手たちの入学に合わせてカーリング部が創設されました。
大学のサポート体制を確認したことが、進学の決め手になったといいます。
常呂高校時代のメンバー4人が揃って札幌国際大学に進学し、WINSは「札幌国際大学WINS」として活動を続けることになりました。
日本ジュニア選手権3連覇
大学時代の吉村選手は、ジュニアカテゴリーで圧倒的な強さを発揮しました。
ジュニア世代の中心選手として、国内では負けなしの成績を収めました。
ロコ・ソラーレの吉田知那美、吉田夕梨花、鈴木夕湖らを擁する強豪チームを破っての3連覇は、吉村選手の実力を証明するものでした。
パシフィックアジアジュニア選手権3連覇
日本代表のスキップとして、アジア地域でも圧倒的な強さを見せつけました。
世界ジュニア選手権で銅メダル獲得
大学時代のハイライトとなったのが、2013年の世界ジュニアカーリング選手権での銅メダル獲得です。
吉村選手は世界ジュニア選手権に3年連続で出場し、2013年大会で念願のメダルを手にします。
この銅メダルは、吉村選手が国際舞台でも通用する実力を持つことを証明するものとなりました。
ユニバーシアードにも出場
大学時代、吉村選手は冬季ユニバーシアード日本代表としても活躍しました。
ソチ五輪への挑戦
大学4年生の秋(2013年)には、ソチ五輪代表決定トライアルに参加しました。
結果は4位で、オリンピック出場の夢は叶いませんでした。
「最大目標としていた2014年ソチ五輪出場は叶いませんでした」という悔しさを胸に、大学卒業後もカーリングを続けることを決意しました。
大学時代の練習生活
大学時代も、吉村選手のカーリング中心の生活は変わりませんでした。
「基本的には同じです。トレーニングが終わったら、家に帰って休みたい。そう思っていた気がします。大学も、私が住んでいたところも札幌の街中からは少し離れた場所だったので、授業以外は部活かカーリング。真面目と言われることもありましたが、それが普通のことだと思っていました」
と振り返っています。
授業はさぼりがちだったという証言もありますが、それだけカーリングに情熱を注いでいたことがわかります。
吉村紗也香の学生時代の成績まとめ
高校時代(2007年~2010年)
| 年度 | 大会名 | 成績 |
|---|---|---|
| 2009年 | 第4回全国高等学校カーリング選手権 | 優勝 |
| 2009年 | 日本カーリング選手権 | 準優勝 |
| 2009年 | バンクーバー五輪代表決定戦 | 準決勝進出 |
| 2010年 | 日本カーリング選手権 | 準優勝 |
大学時代(2010年~2014年)
| 年度 | 大会名 | 成績 |
|---|---|---|
| 2010年 | 日本ジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2011年 | 日本ジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2011年 | パシフィックアジアジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2011年 | 冬季ユニバーシアード | 4位 |
| 2012年 | 日本ジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2012年 | パシフィックアジアジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2013年 | パシフィックアジアジュニアカーリング選手権 | 優勝 |
| 2013年 | 世界ジュニアカーリング選手権 | 銅メダル |
| 2013年 | 冬季ユニバーシアード | 7位 |
| 2013年 | ソチ五輪代表決定トライアル | 4位 |
ジュニア時代、国内では負けなしの圧倒的な実績を誇りました。
吉村紗也香の学生時代エピソード
負けず嫌いな性格
吉村選手は自身について「負けず嫌いではあると、自覚しています」と語っています。
「このショットを決めたい!」と思ったら真剣に打ち込む性格で、この粘り強さが彼女の強みとなっています。
一方で、試合中にチームメイトや自らがミスをしても、イライラする姿を見せない冷静さも持ち合わせています。
このメンタルの強さは、スキップ(司令塔)としての資質を示すものです。
高校時代の挫折経験
「高校時代は勝てない時期が長くて、悔しい思いをしました」と吉村選手は振り返っています。
この経験が、後のメンタルの強さにつながったと考えられます。
カーリングに青春を捧げた日々
吉村選手が「カーリングを始めた頃から、競技ひと筋だったのでしょうか。」という内容の質問されたことがあった際、彼女は「そうかもしれません」と答えています。
中学・高校・大学を通じて、ほぼ毎日カーリング場に通い、授業や部活の後にリーグ戦に出場するという生活を続けていました。
この積み重ねが、現在の吉村選手の実力の基礎となっています。
チームメイトとの絆
小学4年生から大学卒業まで、約10年間にわたって同じメンバーで「WINS」として活動を続けた経験は、吉村選手にとってかけがえのないものでした。
現在、かつてのチームメイトは別々のチームで活躍していますが、石垣真央選手(富士急)とは2025年のカーリングオールスターで11年ぶりに共闘を果たしています。
長年培った絆は、今も続いています。
母校での壮行会
2026年1月29日、吉村選手は母校の札幌国際大学で開催された壮行会に出席しました。
壮行会では在校生たちから激励の花束や寄せ書きのメッセージが贈られ、吉村選手は「こんなにたくさんの生徒の皆さんに集まっていただき、正直、ビックリしています。五輪に向けてたくさんの後押しをいただけました」
と感謝の言葉を述べました。
「大学時代の自分にかけるとしたらどんな言葉をかけますか」という質問に対しては、「まだ諦めるな!」と答えています。
ソチ五輪出場を逃した大学時代の自分へ、5度目の挑戦で五輪切符を手にした現在の吉村選手が贈る、力強く感動的なメッセージでした。
吉村紗也香:大学卒業後の進路
2014年、札幌国際大学を卒業した吉村選手は、北海道銀行に入行し、カーリングチーム「北海道銀行フォルティウス」に加入しました。
広報部に配属され、仕事とカーリングを両立する社会人アスリートとしての歩みを始めました。
2021年、北海道銀行とのスポンサー契約が終了した後も、吉村選手は「フォルティウス」のメンバーとして活動を続けました。
チーム名の由来はラテン語で「より強く」という意味です。
2025年、吉村選手率いるフォルティウスは日本代表決定戦を制し、12月の世界最終予選で五輪出場権を獲得しました。
高校生から数えて5度目の挑戦で、ついに悲願のオリンピック出場を果たしました。
まとめ:吉村紗也香の学歴|出身中学・高校・大学はどこ?
吉村紗也香選手の学歴は以下の通りです。
- 小学校:北見市立常呂小学校(旧・常呂町立常呂小学校)
- 中学校:北見市立常呂中学校
- 高校:北海道常呂高等学校
- 大学:札幌国際大学
学業と競技を両立しながら、ほぼ毎日カーリング場に通い続けた学生時代でした。
「青春(学生時代)をすべてカーリングに捧げてきた」という言葉通り、その積み重ねが現在の吉村選手の実力の礎となっていることは間違いありません。
5度目の挑戦でつかんだミラノ・コルティナ五輪出場。学生時代から夢見続けたオリンピックの舞台で、吉村紗也香選手のさらなる活躍が期待されます。
